メガネっ娘はメガネが本体

小谷ちあきと加藤里保菜が好きです

好きだった人が明日入籍するらしい

去年まで好きだった人が明日入籍するらしい。
昔好きだったというよりも、3年前に新卒入社時の同期として出会って一目惚れして以来ずっと好きだった。(以後彼女をA子と呼ぶ)
自分に自身がなかった私はなかなかデートに誘えずにそうこうしているうちにA子に彼氏ができてしまった。私はA子を諦めるためになんとなくいい雰囲気だった別の同期(B子)と付き合いはじめた。
別の人と付き合っていれば忘れられるのかなと思ったけども、むしろA子とB子を比べてしまい、ますますA子のことが好きになった。
さらにタチが悪いことにA子とB子が研修を通じて友達になり、私はA子にとって「B子の彼氏」というポジションになってしまった。

私はその後も友達としてA子と何度も飲みに行ったり、好きな小説家の作品を貸し合ったりして過ごしていたが、会って話をするたびに、「もうA子にとって私は恋愛対象として見られていないんだなぁ」と実感して悲しい気持ちになった。
また、こんなふらふらしている私を好きでいてくれるB子に対しては感謝とともに罪悪感を抱いてしまい、結局両者といるのが辛くなっていった。

こんな中途半端な関係が1年以上続いた。A子と初めて出会ってからはもう2年近くが経っていた。A子から彼氏と別れたと告げられた。私の気持ちは舞い上がったが、同時に「好きだと伝えたらもうこの関係が崩れてしまうだろう」とビビって結局自分の気持ちを伝えることができなかった。多分私が本当に恐れていたのは関係性の崩壊などではなく、相手が自分のことを好きじゃないと知ることだったのだろう。関係性などというそれっぽい言葉でごまかして、A子と一緒にいたいという気持ちに背を向けていたのだ。

こんなモヤモヤした気持ちでいるうちにB子との関係も悪くなっていった。A子とB子が繋がっている以上、B子と別れない限りA子に想いを伝えることができないと考えた私は、B子と別れることにした。自分の気持ちに正直になりたかったと言うとそれっぽく聞こえるが、要はB子の気持ちを一切考えずに自分勝手な行動をとっただけである。B子からは別れたくないと言われたが結局私が押し切る形で交際を解消することになった。

本当にクズなエピソードだが、B子と別れてすぐにA子に連絡し会う約束を取り付けた。A子は「会おう」と言ってくれたが、一緒に「最近彼氏できたんだ!」と嬉しそうに報告もしてくれた。このメッセージを受け取ったのは仕事中だったが、私は目の前が真っ暗になりしばらく何も考えることができなかった。付き合った日を聞いてみたらなんの偶然か私がB子と別れた日と同じだった。A子曰く「彼氏がしばらくいなかったし、告白されたからまぁいいかな」と思って付き合ったらしい。もはや後悔してもしきれない。
A子と付き合いたいけどB子も優しくしてくれて良い子とふらふら決めきれていなかった私は結局ことわざの通り「二兎追う者は一兎も得ず」だったのだ。

そんなこんなでA子のことを諦めなくてはならなくなった私だが、2年近くひっぱってきた想いはなかなか消えてくれないもので、定期的にA子と連絡を取りながら飲みに行ったりしていた。彼氏との状況を聞くたびに「あんまり性格が合わなくて月に1回くらいしか会わない」と行ったネガティブな話が彼女の口から漏れていた。「相手を破局させたければ彼女が愚痴る彼氏を褒めろ」とどかの恋愛本が言っていたことを思い出した私は必死に彼氏を擁護したりして、なんとかチャンスが回ってこないものかと画策していた。
彼氏とのデート以上の頻度で他の男と出かけているA子ちゃんも客観的に色々如何かと思うが、なんとかいい距離感は保てており、むしろA子ちゃんも仕事や彼氏との関係で色々悩んでいるみたいで、話の内容は以前よりも深まっていたと私は感じていた。また、クリスマスも昼間に適当に会っただけという話を受けて、そろそろ別れるのではないかと淡い期待を抱いていた。

そんなこんなで仲を深めていた私は先月A子ちゃんと飲みに出かけた。
いつも通り可愛らしい笑顔と服装で和んでいた私は意を決して彼氏との交際状況を聞いてみた。
すると彼女は「実は...結婚することにしたんだ!」と笑顔で語りかけてきた。
「寝耳に水」とはこのことを言うのだろう。彼女はプロポーズの様子や結婚に至った理由など様々なことを楽しそうに話してくれたが、正直ほとんど頭に入ってこなかった。かろうじて分かったのは「別にそこまで好きなわけではないけど、職場の周りも結婚してるしとりあえず結婚したくなった」という曖昧な理由で結婚を決めたということだった。私は彼女が周りに流されやすく、キャリア志向も強くないというのを知っていたが、人生の大きな決断まで流されてしてしまうとは思わなかった。別に彼女に幻滅したわけではないが、なぜか私の心は少し悲しくなった。

A子ちゃんの話によると明日レミオロメンの名曲のタイトルにもなっている『3月9日』に入籍するらしい。昔好きだったの子の誕生日も3月9日だったし、私はとことん3月9日にいい思い出がない。
彼女の職業柄(とても堅い)、離婚することもほぼないだろうし、今後私が彼女と付き合える可能性はゼロである。明日を超えてしまえばもう彼女とは一生人生という線を交えないだろう。私はこの事実がとても悲しい。

とまぁ、ここまで色々を嘆きながら文章化してみれば少しは気持ちが紛れるかと思ったが、私の心はまだまだ晴れないみたいだ。だいぶ自分勝手なこともやったし、ビビって行動できてない情けなさも露呈していた。だから、この結果を招いたのはすべて私の責任だし、この悲しみは自分の中で処理しなければいけない。
そういえば大好きな『BLEACH』の巻頭ポエムにも「この世の全てはあなたを追い詰めるためにある」と書いてある。やはり久保帯人先生は偉大だ。

今回の経験を通じて自分が強くなったとも思えないし、今後も同じような過ちはするだろう。しかし、相手に拒絶されることを恐れて、自分が信じる行動を起こさなかったことを人は一番後悔するのだと気づけた。多分ビビリの私は思い立ったらすぐ行動できるような強い人になるにはもうちょっと時間がかかるが、少なくとも自分が行動したいという想いを自分で信じてあげて、小さな歩幅ながらも進んでいきたいと思う。

最後に一つ言いたい。

結婚おめでとう!!!

なぜコンサルタントはキャリアにモヤモヤしているのか?

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News Picksでこのような記事があった。

blog.tinect.jp

この記事では市場価値向上の目的を「転職を通じてより高い給料を得る」ことと定義しており、
そのためには漠然とスキル向上や経験を通じて、労働市場における『商品としての自分』の価値を高めるのではなく、
・質が良くなくても高く売れる(高い報酬がもらえる)成長マーケットに身を置く
・自身を売り込むマーケット(会社やポジション)を明確にし、そこに最適化したスキルや経験を高めていく

といったマーケティング的な発想でキャリアを考えるべきだと論じている。

自身の専門性や今後のキャリアについて多少なりとも悩んでいる私は、この考えにとても共感できたし、「なぜコンサルファームにはキャリアに対してモヤモヤしている人が多いのか?」という疑問に対する答えも出せたのでそれについて書いていきたい。

 

新卒・中途問わず、コンサルファームで働く多くの人が「数年間でビジネススキルをつけて市場価値をあげる」ことを頭のどこかで考えている。私の感覚では日本的大企業に入ったが、数年間まともに業務を任せてもらえず危機感を抱いて転職した第二新卒の人ほどこの意識は強い。
実際、コンサルとして働く中で論理的思考力やドキュメンテーション能力、システム関連の知識といった様々な場面で活用できるいわゆるビジネススキルを身につける機会は多く、また転職エージェント曰く、これらのスキルは転職市場でも一応重宝されるみたいだ。

このようにして市場価値をあげてバリバリ働いているというイメージが持たれがちなコンサルであるが、飲み会などの場で上司や先輩、同僚と話してみるとモヤモヤした気持ちを抱えながら働いている人たちがとても多い。
彼らはコンサルとしての仕事を楽しんでおり、やりがいも感じているが、自分が本当にやりたいことが明確になっていないと言っていた。
つまりコンサルでの業務を通じて「ビジネスマンとしての価値は高まっているが、専門性がなく、今後どういうキャリアを描いていけばいいかわからない。」 というものである。

また、大きいファームではプロジェクトが割と運で決まってしまう傾向があるため

  • 戦略立案をしたいのにPMO案件にアサインされる
  • 基幹システム構築をしたいのに業務プロセス改善案件にアサインされる

といったように自身が望む経験が得られないことも多い。(社内で信頼を集めることで案件を選べるようにもなるが、時期によっては自分が望むような案件がそもそもないこともある。)
このよう場合では、たとえターゲットとする市場を明確化していても、そこに最適化したスキルや経験を積むことができない。

 

つまり記事でも書かれているように、
「自分という商品の質は高めているものの、それをどのターゲットに売るかが明確でない」
もしくは「売るべきターゲットは決まっているものの、それに向けた研鑽ができていない」
状態に陥ってしまっているのである。

 

もちろんコンサルでの業務を通じて自分のスキルアップは実感しているし、若手では考えられないような経験も積むことができているのは事実である。
ただ、安易に市場価値を高めるためにコンサルで働くといった店頭陳列型の考えではなく、記事にあるようにターゲットを決めてそれに最適化させる専門店的な発想(記事ではマーケター的発想と記載)でキャリアを考えていきたいものだ。
さらに言えば、自分を市場に売るのではなく、自分で新しく市場を作っていくくらいの気概で生きていきたいと私は思う。

丸首・ネクタイが苦しい

丸首が苦しい!学ランが窮屈!ネクタイが辛い!

私は小学生の頃からこんな想いを抱いて生きてきた。子供の頃に買ってもらったベイブレードの丸首パジャマを即日ハサミで切り裂いてVネックにして親に怒られたこともある。 私の周りには似たような症状を持つ人はいなかったが、ネットで調べてみると割といるみたいだ。オードリーの若林も著書でネクタイが辛いと言っており親近感を覚えた。(ちなみに世間ではこのような症状を「感覚過敏」と言うらしい。)
ドラえもんがいたら真っ先に『もしもボックス』で「ネクタイと丸首の無い世界」にするだろう。

映画『メン・イン・ブラック』シリーズが大好きな私にとってネクタイをピシッと決めて仕事をする姿は子供の頃から憧れであったので、 就活や社会人生活を通じて自分がネクタイを締められないと分かり本当にショックだった。仕事のための服なのに苦しくて生産性が下がってしまうのは本末転倒だし、1日に10時間近く不快感を感じているのは精神衛生上もよくないので仕方のないことだろう。 前職ではネクタイが締められない人は顧客折衝を行わない事務部門等に飛ばされると言われ退職を決意した。入社前は「社会人になって毎日していればいずれ慣れるだろう」と甘い考えを持っていたが、結局退職するまでネクタイが気にならなかった日は1日たりともなかった。
現職では社内メンバーならたとえ相手が役員だろうとも私服で出社することができるのでだいぶ助かっている。
ただ、客先常駐になったらネクタイを締めなけらばいけないので、その時は退職するかプロジェクトを移動するなりしようと思う。

結婚式などの祝い事ではネクタイを締めて数時間過ごさなければならないので本当に辛い。しかし服装マナーが厳しい祝い事ではネクタイをどうしても締めなければならないため、最終手段としてシャツの第一ボタンを開け、かつ結び目の部分を極力大きくして空間を作る。もちろん首回りに違和感はあるものの普通に締めるよりは格段に楽になる。(予定はないが自分の結婚式では絶対にネクタイはしないつもりだ。)
ゼクシィ編集部には早急にノーネクタイカジュアル婚を推進してほしいものである。

ベンチャー界隈ではスーツやネクタイは撤廃されているが、ビジネスにおけるネクタイ文化が廃れることは今後もないであろう。
そんな生きにくい世界ではあるが、自分にとって心地のいい環境を作ったり、見つけたりして生きていきたいと思う。

平日夜にカフェにきて思うこと

こんにちは。 ネコツータです。
最近夜によく家の近くのカフェに行ってブログや小説を書いたり、プログラミングを勉強しているのですが、この時間帯は社会人や学生がとても多いんだなと気づきました。私は他人が何をしているか気になてしまうので、割とキョロキョロしちゃっています。
今回はそんな中で私が気づいたことを書いていきます。

ビジネス書

私が見た中で一番多かったのはビジネス書を読んでいる人です。
起業家が書いたノウハウ本やマーケティングや事業戦略に関する和訳本といったものが主に読まれていました。社会人だけでなく大学生っぽい人もよく読んでいるので、これらの本の認知度が高さが伺えました。

受験勉強

時期柄もあるのか受験勉強をしている高校生もたくさんいました。
私が高校生の時はお小遣いの都合上、コーヒー一杯500円もするカフェで勉強するなんて考えられませんでした。羨ましい限りです。

ネット動画

スマホYoutubeNetflixを見ている人も割といました。
人が見ている動画ってなぜだかすごく楽しそうに見えますよね。

執筆活動

ブログや小説を書いてる人も少なからずいました。
ただ、ほとんどは私服の人で、スーツ姿で執筆活動をしている人はあまり見ませんでした。

意外と多い保険の営業

若い女性が保険の営業活動を行っているのもよく見かけます。
相手は大抵30前半くらいの男性が多い気がします。たまに営業の女の子を必死で詰めている客がおり、見ていて不快になることもあります。

 
ダラダラこんな人がいましたよーって書いてきましたが、
平日夜のカフェではいろんな人が各々やりたいことに集中している雰囲気があり、私はそれがとても好きです。

15年ぶりに遊戯王にプレイしてみて思ったこと

松坂桃李くんがTwitterでよく話題にしていて興味を持った私はKONAMIのゲームアプリ『遊戯王DUEL LINKS』(以後リンクス)を始めてみた。

今から15年以上前、小学生の頃の私は友達とよく友達を公園でデュエルしていた。
当時から原作の大ファンだった私は海馬社長のブルーアイズや遊戯のブラックマジシャンなどを積極的に使っていた記憶がある。

さて、リンクスを始めてテンションが一番上がったのは、当時好きだったキャラクターを使ってデュエルができるだけでなく、キャラの個性や使用カードに合わせたスキルを使えることである。
スキルを用いてパンドラがブラックマジシャンを初期手札に必ず入れられたり、迷宮兄弟がゲートガーディアンを召喚できるといった特殊スキルに懐かしい気持ちを感じた私がリンクスにハマるのにはそう時間はかからなかった。
実際、ここ3ヶ月ほどは空いた時間にはほぼリンクスばかりしており、半ばゲーム廃人のようになってしまっていた。(リンクスは通常のアプリゲームと違い、ライフがなくても通信対戦ができる仕様であるため、やろうと思えばずっとプレイし続けられるようになっている。)

遊戯王カードも15年前からだいぶ進歩しており、基本的にテーマデッキが主流だったり、融合がめちゃくちゃ活用されていたり、シンクロ召喚という新しい召喚方法も追加されていた。また、そんな新しい環境の中でもブルーアイズホワイトドラゴンやブラックマジシャンといった昔ながらのカードに対するサポート魔法・罠も増えており、いまだに現役で活躍している姿に感動を覚えた

今回はそんな遊戯王大好きな私が子供の頃考えていた遊戯王と大人になってやって見たリンクスの違いを書いていきたい。

子供の頃思っていた遊戯王

ステータス・破壊効果こそ全て

攻撃力の高いモンスター、相手のカードを破壊する効果のカードが多いデッキが強いと考えていた。小学生で公式ルールとかは知らなかったので平気でサンダーボルトを3枚入れたりとめちゃくちゃだった。 そのため、一枚一枚のカードはすごく強いがデッキとしてはバラバラという状況が出来上がっていた。

ライフを削るなんて考えられない

当時の私は『神の宣告』を使う人の気が知れなかったし、使っている人を見たこともなかった。『神の宣告』は自分のライフポイントを半分にすることで、相手が発動したカードやモンスターの召喚などを無効にできる最強の罠カードである。
また、『いたずら好きな双子悪魔』や『盗賊の七つ道具』といった自分のライフポイントをコストにして発動するカードもほとんど入れていなかった。

相手のライフポイントを0にすることを競うゲームなのに自分のライフポイントを減らしてまでカードを使う意義を感じていなかったのだろう。
自分がいかに強いカードを引くかや、自分のライフをいかに相手よりも多く保つかなど、自分にばかり焦点が当たっていた。

 

大人になってやる遊戯王

相手のライフポイントが減るのはただの結果

子供の頃、相手のライフポイントをいかにして0にするかばかり考えていたが、大人になり様々な経験をした今ならそれはただの結果なのだと思える。
今私が重視しているのは相手のライフポイントを0にするまでの過程なのだ。ひとえにライフを減らすといっても、モンスターによる戦闘ダメージ、カードの効果ダメージなど様々である。様々なカードによる連携を駆使して、相手よりも自分のフィールドが優位な状況を築き、相手の打ち手をことごとく潰していけば必然的に相手のライフは0になるだろう。このアドバンテージ奪取を高い再現性で構築できるアプローチを考えることこそがカードゲームの醍醐味であり創造性が発揮される部分だと私は思う。(そのためにも相手のどんな打ち手も無効化できる『神の宣告』のような無効効果持ちのカードは重宝している。)

簡単に言うと、
「ライフポイントを減らす⇨アドバンテージを取る」
という認識が、
「アドバンテージを取る⇨ライフポイントを減らす」
と変化した。
 

また、アドバンテージを取る方法は、

  • 攻撃力が高く、破壊耐性のあるカードを出す
  • 相手の魔法・トラップを無効にする
  • 相手の手札を減らす(自分の手札が相対的に多い状態にする)

など様々である。 特に相対的に手札を増やすのは子供の頃には全く意識していなかったアドバンテージの取り方である。

サーチ!サーチ!サーチ!

今の遊戯王をプレイしていて一番驚くのはサーチカードの豊富さだ。
モンスターを召喚 ⇨効果でデッキから好きな魔法・罠カードを手札に加える ⇨魔法の効果でデッキからモンスターカードを墓地へ送る ⇨墓地に送ったモンスターの効果で墓地から蘇生する ⇨蘇生したカードの効果でまたデッキからカードを手札に加える

これは一例であるが、今のリンクスではこんな感じでいくらでも欲しいカードをデッキからフィールドや手札に持ってこれる。(ちなみにこれをやると対戦相手はひたすら待たなければならないのであんまり楽しくない...)
カードを持ってきたあとはまた効果を発動してコンボをつなげアドバンテージをとっていくのである。

私が当時好きで生贄モンスターを必死で集めて召喚していたブルーアイズホワイトドラゴンも、今では魔法やモンスター効果を駆使して1ターン目から3体揃えることができる。

初期手札やフィールドに制限があるリンクスでさえサーチ合戦が行われているのだから、実際のカードゲームはもっとひどいことになっているのであろう...

好きなキャラとカードを使うのが一番

子供の頃は遊戯王の強さがコミュニティ内での発言力に直結していたため、なるべく勝てることを第一に考えてプレイしていた。
でも今は遊戯王は生活の中心ではなく、あくまで余暇にストレスの発散として行う遊びであるため、楽しめることを第一にやっている。
そのために好きなキャラを使ったり、漫画で行われていたコンボを再現したりと、とにかく自分のテンションが上がることを第一に考えている。もちろん、全然勝てなかったり、1ターンで相手にボコボコにされるなど嫌なこともあるが、遊戯たちの世界がスマホ内に広がっており、それを操作してモンスターを召喚できていることが何より楽しいと私は感じている。

 
まぁダラダラまとまりもなく書きましたが、デュエルリンクスはいいゲームなんで皆さんもぜひ一度プレイしてみてください!

最近の筋トレメニュー.ver1.0

ブログタイトル通り、備忘録として最近の筋トレメニューを書いておきます。

ジム:Anytime Fitness

 家から徒歩2分のところにあるから楽。
 最近他のもっと設備がいいところへ行きたい欲が出てきた。

アプリ:Fitness Archive

体の部位別に自身でメニューを設定できる。
初期設定のメニューもあるのでこれから筋トレを始める人はそれを試してみるといいかも。

メニュー

腕の日

<二頭筋>
<三頭筋>
  • ナローグリップベンチプレス
  • ケーブルトライセップエクステンション
  • ケーブルプレスダウン
  • リバースプッシュアップ

胸・肩の日

<胸>
<肩>
  • ダンベルショルダープレス
  • スミスマシンフロントプレス
  • ウェイトフロントレイズ
  • ダンベルサイドレイズ
  • ケーブルサイドレイズ
  • バーベルシュラッグ

背中の日

  • ラットプルダウン
  • リバースグリップラットプルダウン
  • ベントオーバーローイング
  • ワンハンドローイング
  • シーテッドプーリーロー
  • バーベルデッドリフト

脚・腹筋

<脚>
<腹筋>
  • クランチ
  • サイドベンド
  • ケーブルクランチ
  • マシンクランチ
  • 腹筋ローラー

なぜ会社には『オジサン』がいるのか?

最近、友人たちと麻雀している際に「会社にはなぜ『オジサン』が蔓延しているのか?」という話になりました。

ここでいう『オジサン』とは中年男性のことではなく『会社に来ているが生産的なことはせず、だらだら働いている年次が高めで「上席部長代理」みたいなわけわからん役職の会社員』を意味しています。 友人たちはいわゆる『日本的大企業』に勤めており、どんな部署や現場にもたいてい一人はいるみたいです。(もちろん大企業には優秀な人の方が多いとは思います...。)

私も銀行員時代に多くの『オジサン』と仕事や飲み会で話したことがあるので、友人たちが『オジサン』と一緒に仕事をしたくない気持ちはわかります。特に私を含め今の20代は終身雇用ではなく、転職を前提としてキャリアを重ねているので、何もせずに会社にしがみつくといった行動は理解しがたいものでしょう。

しかし、これまで多くの『オジサン』たちと接する中で、誰でも『オジサン』になる可能性はあるのではないかと私は思うようになりました。
今回はその理由をまとめてみました。

『オジサン』の生態

●言われたことしかしない

彼らは書類作成や事務手続きといったタスクの処理速度や質に問題はなく、コミュニケーションも普通にこなせます。 コンサルでのプロジェクトで彼らに業務依頼をすることが多々あったのですが、とても丁寧に仕事をしてくれました。

しかし、これまでのキャリアの中で上から言われた仕事を社内のルールに沿って処理することばかりやってきたため、問題意識を持って自発的に何かアクションを起こしたり、決まった方針に対して意見を言うといったことはしていませんでした。また、彼らの中には指示のないことをやって、何かミスをすると問題になるから何もしないという責任回避戦略をとっている人もいました。
自発的に動かないことで大きなミスをすることなく、また上司から悪い印象を持たれることもなく、そつなく年次を重ねてきたのでしょう。 (ちなみに酷いケースだと、細かいワークフローを提示してあげないと一切業務に移れない人もいました。)

●プライドが高い

『オジサン』は数十年間一つの企業で勤め上げ、『上席部長代理』や『課長代理補佐』と言ったわけのわからんながらも一応”役職”を持っています。
そのため彼らはプライドが高く、若い人から指示を出されたり、指摘を受けることを嫌がります。年功序列への信仰が強い彼らには若い人よりも様々な苦労をしてきた自分が勝っているという想いを持っているのでしょう。
(もちろん年齢を重ねて素晴らしい経験をされている方もたくさん見てきましたが、そういった方は年下にも敬意を持って接してくれました。)

●部下がいない

彼らは”役職”は持っているものの実質的には部下がいません。
常に上司からの指示を受けて仕事をしているため、たとえ年下のチームメンバーがいたとしてもタスクの切り分けや進捗管理といったマネジメント業務をうまく回せていないケースが散見されました。

●転職先がない

上述したように彼らはアラフォーにもかかわらず自分で仕事を組み立てることやマネジメントの経験が浅いもしくは無いケースが多いです。
また経営企画室や財務企画部のように転職市場で評価されるような専門性の高い部署ではなく、重要度が比較的低い業務を担う部署にいる傾向にあります。(会社によって部署の評価が異なるので、あまり明示しないでおきます。)

さらに年功序列の企業で40を超えると年収が1000万円を超えることも珍しくありません。 能力と年収に大きな不均衡がある彼らには、現状と同じ条件での転職先がないケースがほとんどです。 (銀行の場合は50歳以降の出向先を会社が用意してくれます。)

転職先が無い彼らはたとえ嫌なことがあっても会社にとどまり定年を迎えるという戦略をとります。
このようにして会社に仕事ができないけどプライドと年収が高い『オジサン』がたくさん生まれます。

ちなみにこういった問題は日本企業だけの問題かと思われがちですが、私の在籍するコンサル会社でも最近規模が大きくなったためか、こういった『オジサン』を結構見かけるようになりました。

なぜ『オジサン』になってしまうのか

私がこれまで書いてきてオジサンがこんなにもたくさんいる理由として以下の2点が考えられます。

●意思要因

もともと仕事に全く意義を見出さずに、可能な限り楽にお金を稼ぎたい人がこれに当たります。(簡単に言うとやる気が無いタイプ)
このタイプの人は最小限の努力で高いリターンを得ようとするので、楽な仕事を率先して取りにいきます。そして彼らは会社に出勤することで給料が発生すると考えているので、『オジサン』状態であっても幸せを享受しています。

●環境要因

意思要因よりも多いと思われるのが、本人ではほとんどコントロールが効かない環境による影響です。
総合職採用の場合だと『配属ガチャ』と言われるように、初期配属部署と上司が運で決まるケースが多いです。(ちなみにコンサル会社でも『プロジェクトガチャ』と呼ばれるように、業務内容やマネージャーが運で決まりがちです。 )

ここで事務処理や総務系の部署に配属されてしまうとなかなか自身の市場価値を高めるような業務に携われずに数年を過ごすことになります。また、そういった事務領域の業務を長年続けると、その後のローテーションでも同様の部署に異動しやすいため、なかなか抜け出せません。

タチが悪いことにこういった事務処理系の仕事はルールに沿って手を動かすばかりで考えることが少なく楽なので、最初は高い志を持って入社した人でも徐々に環境に慣れてしまい、自分で考えて仕事をすることに対して抵抗が出てきます。
このように考えない癖がつくと、その後企画や開発系の部署に異動できてもなかなかその癖が抜け出せずに結果が出せなかったりします。
ホリエモンやZOZOの前澤社長が言うように、「どんなに簡単な業務であっても自身の工夫次第で変えていける」という考えもありますが、実際にこういった環境に身を置いてしまうとなかなか難しいかと思います。)

また、どんな部署だとしても上司や先輩の多くが『オジサン』傾向にあり、意見が封殺されてしまう環境にいると、発言をすることに恐怖心や躊躇が生まれてしまうため、徐々に彼らのように言われたことだけをただやる姿勢が身についてしまいます。

 
「こんな環境にいるなら抜け出せばいいじゃん」っていう人もいるかと思いますが、転職面接の場で話せるような経験が少ないことに加え、毎日意に沿わない業務やソリが合わない上司との付き合いを続けていると精神的に磨耗し、現状を変えようという意思が無くなっていきます。
さらに私の経験上、自分の現状がイケてないと、仕事がうまくいっている友人と会って話すのが億劫になって、仕事がうまくいってない友人とばかり会って愚痴メインの飲み会をするようになります。こうなると愚痴で発散することに快楽を見出し、現状を変えられなくなります。

大学時代に様々な企画の運営や留学をし、研究もしっかり行っていた知人に卒業後数年ぶりに会ったら、仕事の不満ばかり話しており、昔のようなアクティブな姿勢や現状を変えていこうという気持ちもほとんど無くなっており驚いた記憶があります。(彼はその後転職できたみたいで、今はとても楽しそうにしています。)

誰でも『オジサン』の素質がある

●なってしまうのは仕方ない

これまで『オジサン』のよくないところと述べてきましたが、強いビジョンや意思を持っている一部の人を除いて、多くの人は誰でも環境次第で『オジサン』になってしまう可能性があると思います。
(もちろん環境は自分の努力次第で変えられるので、すべてを環境のせいにするのは間違っていると思います。)

できるとすれば定期的に自己分析をして振り返ったり、様々なタイプの人と会うことで自身を客観視し、『オジサン』化している場合は自分の考えや環境を迅速に変化させることだと思います。

●『オジサン』も悪いものではない

私は銀行員時代やコンサルでのプロジェクトで会ったオジサンたちの中にはプライドが高く偉そうなのに全く仕事をしない厄介な人もいましたが、それ以外にも仕事のことは無視して奥さんとの時間を過ごす人、娘の進学を人生の目標にしている人、年収1000万円超なのでコスパがいいと自慢する人など、自身の現状の中から楽しさを見出している人もいました。

生き方が多用していると言われながらも、「仕事で意義を見出さないといけない」という風潮が強い現代だからこそ、彼らのような生き方もあるのだと認識することで視野を広げることができるのではないかと思います。(会社にとっては利益を出していない場合が多いので、手放しに良いとは言えないけども...。)


 

最後に一つ言いたいのは今私たちが『オジサン』と読んでいる人たちも昔は『希望に溢れた新社会人』だったし、同じように『オジサン』にはなりたくないと話していたと思います。
しかし、仕事や上司と合わなかったり、経済環境や会社の経営状態が急変したり、私生活で何かよくないことがあったりと様々な要因があって今の状態に至ったのではないでしょうか。
なので私は一概に『オジサン』になってしまった原因が彼らにすべてあるとは思えないし、そうなってしまった背景をより詳しく知ることができれば、今後働いていく人々にとってのより良いキャリアの歩み方が見つかるのではないかと思います。