メガネっ娘はメガネが本体

小谷ちあきと加藤里保菜が好きです

僕にとって結婚式は眩しすぎる

満開の桜が見頃を迎え春が訪れたことを実感する今日この頃。実はもう一つ春の訪れを感じさせるものが家のポストに届けられる。結婚式の招待状である。比較的スケジュール調整しやすいGW中やジューンブライドといわれる6月に式をあげるカップルが多いためか、この時期になると式の招待がとても多くなってくる。

単刀直入にケーキ入刀すると、僕はこの結婚式が大嫌いである。

まずあの馬鹿高い参加費である。披露宴から参加すると二次会含めて4万円、二次会だけでも1万円はする。しかも料理は少ないし、クソつまらん生い立ちビデオを見せられるし、ひどい時には余興で変なダンスを踊らされたりもする。
挙げればきりがないが、本当に仲が良かった友達以外の結婚式は断ろうと思い始めた今日この頃である。

結婚式で行われる薄ら寒いプログラムの中で僕が一番嫌悪感を抱くのはあの感動の「両親への手紙」である。
新郎新婦が「今まで育ててくれてありがとう。これからは二人で両親のような暖かい家庭を築いていきます」的な言葉を両親に伝え、両親が号泣し、これにつられて新郎新婦も涙を流し始めるといった水戸黄門バリのお涙頂戴テンプレ展開である。よくわあらないが女性参加者もなぜか感動して泣き始め、会場全体が大きな感動に包まれる。僕のようにひねくれた人間からしたら、他人の式で泣ける人の豊かな感受性に尊敬の念も抱く。

さて、なぜ僕がこの「両親への手紙」が嫌いかというと、単なる嫉妬である。
正確に言うと、両親に泣きながら感謝の手紙を読める家族関係がとても羨ましいのである。

僕は父、母、母方の祖父母、3つ上の兄、7歳下の弟の7人家族だ。 両親は「なぜ結婚したんだ?」と疑問を呈せざるを得ないほど趣味や思想が合っておらず、僕が物心ついた頃から会話をしているのを見たことがない。さらにひどいことに母は自分の母親である祖母と結託し、徹底的に父や父の実家を貶めるような発言をし、その思想を幼い僕たちに根付かせた。今では父との関係は良好であるが、小中学生の頃は父が劣悪な家庭環境の原因であると信じきっていた。父は自分への罵詈雑言に耐えられず、平日は夜遅くに帰宅し、休日もほとんどどこかへ出かけていた。
また、母と祖母は汚言症なのかと思うほど僕の友人や彼女、ひどい時には友人の両親に対しての悪口を家庭内で話していた。中学生までは母を信じきっていた私は友人たちが本当に悪い奴らだと思っており、信頼できる友人を作ることができなかった。祖母と母は私に対しても平気で悪口を言っており、たとえ学校の定期考査でほぼ満点で一位をとっても、「勉強だけできても社会では通用しないからね」と貶められていた。一位をとっても貶められるのだから、二位以下をとった日には「父方の血が入っていることが原因なのではないか」と昔の貴族映画でしか見たことがないセリフまで飛び出した。(別に母も祖母も頭がいいわけではない) また、兄は勉強のできる私が嫌いだったのか、事あるごとに年齢でマウントをとってきていた。
要するに私にとって実家は心が全く休まらないどころか、精神的に追い詰められるような地獄の箱であった。暴力や食事を与えないといった肉体的な虐待を受けてはいなかったが、精神的な虐待は恒常的にあった。ちなみに祖母や母は虐待のニュースが流れるたびに、「お前はこういう家に生まれなくてよかったね」と言い、私が虐待を受けるべきなのに私たちは慈悲深いからそんなことはしないんだというメッセージを暗に伝えてきていた。そのため私は家族が無条件でお互いを認知し合う共同体などと思ったことは一度もなかった。

実家から少し距離のある高校に入ってからは様々な価値観を持った先生や友人が周りにいたため、徐々に母の思想から抜け出し、自由に高校生活を謳歌するようになった。そんな自由な思想を持ってやりたいことをしている私のことが気に入らなかったのか、母と祖母は悪口の矛先をこれでもかと私に向けてきたが、高校の友人たちの支えもあって、なんとか精神的に保っていられた。
大学は実家から出るために地方の国立大学を選び、家族との距離はより一層離れていき、社会人になった今では冠婚葬祭でしか会うことがなくなり、忌まわしい記憶からも徐々に解放されつつある。

これまで長々と自身の生い立ちの悲惨さを述べてきたが、家族が悲惨だった分信頼できる友人にはたくさん出会うことができ、今の人生には概ね満足している。

話を結婚式に戻そう。
これまで書いた通り、私の家族は法律的には存在しているが、共同体としての役割を全くなしていなかったため、結婚式で感謝の気持ちを述べようにも述べる言葉が一切ないのである。むしろ結婚相手やその家族、はたまた私の友人に対する悪口をいう可能性もあるため、たとえ結婚式を開くとしても父と弟しか呼ばないつもりである。(死別や離婚をのぞいて両親が出席しない式ってあるのかな?)
だからこそ私は普通に両親や祖父母を式に呼んで、涙を流しながら感謝の手紙を読める人たちがたまらなく眩しい。
両親になんの迷いもなく無垢な手紙を読む新郎新婦、感謝を述べられ感極まる両親祖父母、そして家族がそういった温かいものであるということを疑わずに涙を流す参加者、私はこれまで見たことも感じたこともない「ぬくもり」という感情を目の前にしてただただ気持ちが悪くなるとともに、会場全体の人たちが感じているその「ぬくもり」をただ一人感じることのできない自分自身に深い罪悪感と悲しみを抱く。
久保帯人がBLEACH21巻の巻頭ポエムで「この世の全てはあなたを追い詰めるためにある」といっているように、あの瞬間は世界の全てから刃で貫かれたような気持ちになる。

家族への感謝の言葉が自然に出てきて、それを人前で披露できる人が心の底から羨ましくてたまらない。だからこそ僕は結婚式のあの瞬間が嫌い嫌いでたまらない。
この考えが変わることはないだろうし、私の感情が癒えることもないだろう。そんな想いを抱えながら、今日も招待状の出席欄に丸を綴る。