メガネっ娘はメガネが本体

小谷ちあきと加藤里保菜が好きです

加藤里保菜の魅力について語りたい

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僕は赤メガネをかけている女性、通称「赤メガネっ娘」が大好きだ。 エヴァで好きなキャラを聞かれればマリと即答するし、付き合っている子に赤メガネをプレゼントしたこともある。 そんな赤メガネフェチの僕が「世界一の赤メガネっ娘」だと信じて疑わない女性がいる。

それが加藤里保菜だ。

彼女の経歴を詳しく書くとよくある「芸能人紹介記事」になってしまうので、ここではWikipediaを参考にした簡単な紹介にとどめておく。

<プロフィール>
名前:加藤里保菜(かとうりほな)
通称:りほにゃん
年齢:23歳
出身地:茨城県
略歴:
idol street」というエイベックスのアイドルレーベルで2014年までアイドルとして活動したのち、TBSテレビ「ランク王国」でMCを務めた。現在は舞台「ナナマルサンバツ」やアニメ「けものフレンズ」への出演、生配信クイズアプリ「JAMLIVE」にてMCを担当しているなどマルチに活躍している。

Twitter: 
twitter.com

 

僕は2013年に雑誌で彼女を初めて見て、「この子は絶対売れる」と確信してからイベント等への参加を通じて彼女を応援し続けてきた。
2014年にアイドルグループを卒業してからは一気にメディア露出が増え、様々な場面でMCを経験しトーク力を磨いた彼女は、今年さらなる飛躍するだろうと期待している。

そんな加藤里保菜の魅力について語っていきたい。

赤メガネと圧倒的ルックスのマリアージュ

彼女の最大のトレードマークといえば赤メガネだ。
芸能界でも数少ないメガネ女性のなかでも、さらに貴重な赤メガネだ。レア度でいえばカイドウの食べた悪魔の実であるリュウリュウの実幻獣種モデル「ドラゴン」と同じレベルだろう。 綺麗な女性がメガネをかけると理知的かつ凛としてとっつきにくい印象を与えるが、フレームの色を赤にするだけで途端に可愛らしさが加わり、凛々しさと可愛さのマリアージュが誕生する 僕が総理大臣になったら日本のメガネのフレームを赤に統一したいと思う。

また、彼女に容姿に言及すると赤メガネばかりに話がいってしまうが、彼女はメガネなしの状態でも相当美人である。メガネをかけることで顔の輪郭やパーツが誤魔化されて可愛くなる子はたくさんいるが、普段の状態でも可愛い子が最強の装備アイテムである赤メガネをかけてしまったら世界征服も夢ではない。
最近はメガネ無しで出演することも増えており、少し寂しい気持ちもあるが、どんなに売れたとしても週一くらいでメガネ姿をSNSにアップしてくれたらと思う。

見ている者を元気にしてくれる底なしの明るさ

彼女はその恵まれた容姿だけではなく、SNSで魅せるおどけた明るいキャラクターでもファンを魅了している。 自虐的な投稿で笑いをとったり、JAMLIVEにてリアルタイムで寄せられる多くのコメントの機転を効かせた返答をしたりとユーモアに溢れている。常に笑顔を絶やさず画面の向こうで挑戦を続ける彼女を見て、私も1日1日を頑張って生きようと思わされる。 また、「#1日1ビール」というハッシュタグとともに大好きなビールを飲んでいる可愛らしい姿をアップしており、営業活動にも隙がない。現在はビール関連の仕事はないものの、今後彼女がビール関連でPRを行なっている姿を見れたらと思う。

これまではMCとして番組を楽しく進めていくことやプレゼンテーション能力に磨きをかけてきた彼女であるが、今後は声優や舞台、ドラマに映画といった演技の世界でもファンを魅了してくれることを期待する。

 

今、キーボードで「かとうりほな」と打っても「加藤りほな」と変換されてしまい、すぐに検索をかけることができない。 しかし今後、彼女のファンが増えていくことで、「すだまさき」と打った時にすぐ「菅田将暉」と変換されるように、「かとうりほな」と打った時にも「加藤里保菜」と一瞬で名前変換されてほしい。
 

それは祈りにも似た願いだ。 そんな世界が訪れることを想いながら、僕はこの記事を書いている。

「より付加価値の高い職種への配置転換」という名のリストラ

最近、自治体がRPAを導入したことによりルーティン業務の8〜9割が削減できたといったニュースをよく目にするようになった。 去年一昨年は大企業が躍起になってRPAによって「何万時間分の業務削減」「何千人分の業務削減」といったプレスリリースを出していたが、おおかたコンサルやSIerが狩り尽くしてしまったのか最近はあまり目にすることがなくなった。

RPAによる業務削減といったニュースで必ず言及されるのが「余剰人員はより付加価値の高い職種へ配置転換させる」といったフレーズである。これは映画版『名探偵コナン』で主人公のコナンが「ラーーーーン!!」と叫ぶのと同レベルでおきまりである。私もアサインされたRPAのプロジェクトで何度もこの「余剰人員は〜する」というフレーズをパワポに打ち込んだ記憶がある。
このフレーズを目にするたびに「付加価値の高い仕事とは一体なんだろう?」という疑問が胸をよぎる。

ニュースを読む限りだと以下のような職種が付加価値の高い仕事の代表例として書かれている。

  • 提案型営業
  • 事業企画部門
  • 業務企画部門
  • システム企画部門
    etc...

付加価値の高い職種は色々あるが、これらについて共通しているのは「答えの無い問いに対して頭を使って解決策を考え実行する」ということである。
提案型営業であれば、自社サービス・製品を用いて顧客の利益になることを考え、提案・実行する。業務企画部門であれば部署をまたいでヒアリングをし、最適な業務プロセスを考案し、反対する人たちをなんとかして説得しながら実現させる。
旅に例えると、自分で目的地を設定し、最適なルートと乗り物を選び、途中で起きる問題などもなんとか乗り越えながら目的地へ到着する。
こうした曖昧な状況に対して仮説を持って進んでいくことこそが仕事の醍醐味でもあるし、難しさでもある。
 

逆にRPAで削減されている仕事を考えてみよう。 削減される業務は部署ではなく仕事内容で考えた方がわかりやすい。 挙げればキリが無いのでここではイメージのつきやすい業務を挙げておく。

  • ルールが決まっている事務作業
  • 紙からPC上へのデータ移行
  • 定期的な情報の取得、まとめ作業
  • メール・通話を介した受注・発注作業

こうした業務の大きな特徴は、明確な答えがあり、プロセスも全て決まっているこどである。あえてオブラートに包まず言うと思考を全く必要としない作業である。銀行では総合職として入社し、このような業務を行なっている人は何かやらかして左遷された人が多い。

余談だが、プレスリリースなので「付加価値の高い職種への転換」という言葉を使うと、RPAによって削減される仕事をしていた人たちは「付加価値がない仕事をしていた」と会社が世間に対して公言するようなものなので、その人たちのプライドやモチベーションを大きく削ぐんじゃないかと心配している。

 
さて、このような業務を行なっていた人たちを先ほど挙げた高付加価値の職種に転換するにあたり、以下の2つの問題がある。

  1. 付加価値を出せない。
    人間の慣れというのは恐ろしいもので、全く頭を使わないオペレーショナルな業務を続けていると、次第に頭を使うことに抵抗感が生まれ、数年経つ頃にはもはや自分の頭で考えられない指示待ち人間になってしまう。私はこのような人を銀行でもコンサルでも数多く見てきた。
    こうした人たちがいきなり営業部門や企画部門に異動し、「自分で考えろ」と言われても、そもそも何をどうやって考えればいいのか分からず、バリューを出すことができないだろう。ずっと社内で事務作業をしていた人がいきなりクライアント先に行って商談をするのがかなり厳しいことは想像に難くない。 また、未経験職種への異動では仕事を教わる相手が自分よりも年下になる可能性があり、30後半の社員にとってはプライドが邪魔をして業務に集中できないこともあるだろう。

  2. ポストに空きが無い
    RPAで代替されるような労働集約型の仕事とは異なり、高付加価値の仕事は知識集約型なので、単純に人を増やしたからといって利益が伸びるわけではない。そもそも営業部門も企画部門も現在の人員である程度の顧客や業務をカバーできていたわけだし、いきなり配置転換で異動してきた社員に回すような仕事は少ないだろう。
    また、銀行をはじめとする大企業の多くは売上が伸びないからRPAを用いたコスト削減を行なっているわけで、わざわざ削減した人員をバリューの出しにくい営業部門に送るのは結局コスト削減になっていないのではないかと思う。

 
 
上記のような問題があることから、RPAによって浮いた人員を別の部署に送るのはあまり得策ではないだろう。
では彼らはどうなるのか?
自主退職である。

キャッチアップ力が比較的高い若い社員ならともかく、ある程度の年齢で慣れない業務をするのは体力的・精神的に辛い。ある程度耐えられなくなったところで退職金割増の早期退職を公募すれば、多くの社員が流れていくだろう。 実際、某メガバンクの役員も「制度的にリストラはできないから、慣れない職種へ異動させることによって退職を促す」と裏で言っていたらしい。

 

本当に何があるか分からない世の中なので、これから先どんな人材が必要となるのかを常々考えながら仕事をしたいものだ。

 

僕にとって結婚式は眩しすぎる

満開の桜が見頃を迎え春が訪れたことを実感する今日この頃。実はもう一つ春の訪れを感じさせるものが家のポストに届けられる。結婚式の招待状である。比較的スケジュール調整しやすいGW中やジューンブライドといわれる6月に式をあげるカップルが多いためか、この時期になると式の招待がとても多くなってくる。

単刀直入にケーキ入刀すると、僕はこの結婚式が大嫌いである。

まずあの馬鹿高い参加費である。披露宴から参加すると二次会含めて4万円、二次会だけでも1万円はする。しかも料理は少ないし、クソつまらん生い立ちビデオを見せられるし、ひどい時には余興で変なダンスを踊らされたりもする。
挙げればきりがないが、本当に仲が良かった友達以外の結婚式は断ろうと思い始めた今日この頃である。

結婚式で行われる薄ら寒いプログラムの中で僕が一番嫌悪感を抱くのはあの感動の「両親への手紙」である。
新郎新婦が「今まで育ててくれてありがとう。これからは二人で両親のような暖かい家庭を築いていきます」的な言葉を両親に伝え、両親が号泣し、これにつられて新郎新婦も涙を流し始めるといった水戸黄門バリのお涙頂戴テンプレ展開である。よくわあらないが女性参加者もなぜか感動して泣き始め、会場全体が大きな感動に包まれる。僕のようにひねくれた人間からしたら、他人の式で泣ける人の豊かな感受性に尊敬の念も抱く。

さて、なぜ僕がこの「両親への手紙」が嫌いかというと、単なる嫉妬である。
正確に言うと、両親に泣きながら感謝の手紙を読める家族関係がとても羨ましいのである。

僕は父、母、母方の祖父母、3つ上の兄、7歳下の弟の7人家族だ。 両親は「なぜ結婚したんだ?」と疑問を呈せざるを得ないほど趣味や思想が合っておらず、僕が物心ついた頃から会話をしているのを見たことがない。さらにひどいことに母は自分の母親である祖母と結託し、徹底的に父や父の実家を貶めるような発言をし、その思想を幼い僕たちに根付かせた。今では父との関係は良好であるが、小中学生の頃は父が劣悪な家庭環境の原因であると信じきっていた。父は自分への罵詈雑言に耐えられず、平日は夜遅くに帰宅し、休日もほとんどどこかへ出かけていた。
また、母と祖母は汚言症なのかと思うほど僕の友人や彼女、ひどい時には友人の両親に対しての悪口を家庭内で話していた。中学生までは母を信じきっていた私は友人たちが本当に悪い奴らだと思っており、信頼できる友人を作ることができなかった。祖母と母は私に対しても平気で悪口を言っており、たとえ学校の定期考査でほぼ満点で一位をとっても、「勉強だけできても社会では通用しないからね」と貶められていた。一位をとっても貶められるのだから、二位以下をとった日には「父方の血が入っていることが原因なのではないか」と昔の貴族映画でしか見たことがないセリフまで飛び出した。(別に母も祖母も頭がいいわけではない) また、兄は勉強のできる私が嫌いだったのか、事あるごとに年齢でマウントをとってきていた。
要するに私にとって実家は心が全く休まらないどころか、精神的に追い詰められるような地獄の箱であった。暴力や食事を与えないといった肉体的な虐待を受けてはいなかったが、精神的な虐待は恒常的にあった。ちなみに祖母や母は虐待のニュースが流れるたびに、「お前はこういう家に生まれなくてよかったね」と言い、私が虐待を受けるべきなのに私たちは慈悲深いからそんなことはしないんだというメッセージを暗に伝えてきていた。そのため私は家族が無条件でお互いを認知し合う共同体などと思ったことは一度もなかった。

実家から少し距離のある高校に入ってからは様々な価値観を持った先生や友人が周りにいたため、徐々に母の思想から抜け出し、自由に高校生活を謳歌するようになった。そんな自由な思想を持ってやりたいことをしている私のことが気に入らなかったのか、母と祖母は悪口の矛先をこれでもかと私に向けてきたが、高校の友人たちの支えもあって、なんとか精神的に保っていられた。
大学は実家から出るために地方の国立大学を選び、家族との距離はより一層離れていき、社会人になった今では冠婚葬祭でしか会うことがなくなり、忌まわしい記憶からも徐々に解放されつつある。

これまで長々と自身の生い立ちの悲惨さを述べてきたが、家族が悲惨だった分信頼できる友人にはたくさん出会うことができ、今の人生には概ね満足している。

話を結婚式に戻そう。
これまで書いた通り、私の家族は法律的には存在しているが、共同体としての役割を全くなしていなかったため、結婚式で感謝の気持ちを述べようにも述べる言葉が一切ないのである。むしろ結婚相手やその家族、はたまた私の友人に対する悪口をいう可能性もあるため、たとえ結婚式を開くとしても父と弟しか呼ばないつもりである。(死別や離婚をのぞいて両親が出席しない式ってあるのかな?)
だからこそ私は普通に両親や祖父母を式に呼んで、涙を流しながら感謝の手紙を読める人たちがたまらなく眩しい。
両親になんの迷いもなく無垢な手紙を読む新郎新婦、感謝を述べられ感極まる両親祖父母、そして家族がそういった温かいものであるということを疑わずに涙を流す参加者、私はこれまで見たことも感じたこともない「ぬくもり」という感情を目の前にしてただただ気持ちが悪くなるとともに、会場全体の人たちが感じているその「ぬくもり」をただ一人感じることのできない自分自身に深い罪悪感と悲しみを抱く。
久保帯人がBLEACH21巻の巻頭ポエムで「この世の全てはあなたを追い詰めるためにある」といっているように、あの瞬間は世界の全てから刃で貫かれたような気持ちになる。

家族への感謝の言葉が自然に出てきて、それを人前で披露できる人が心の底から羨ましくてたまらない。だからこそ僕は結婚式のあの瞬間が嫌い嫌いでたまらない。
この考えが変わることはないだろうし、私の感情が癒えることもないだろう。そんな想いを抱えながら、今日も招待状の出席欄に丸を綴る。

なぜ男は女子高生と付き合いたいのか?

春休み中だからなのか、女子高生と男子大学生っぽい人が手を繋いで歩いてるのをチラホラ見かけるようになった。法律的にどうなのかはさておき、女子高生としては比較的お金を持っていて、クラスの男子よりも社会経験に富んだ男性と付き合えているし、大学生としても制服を着た若い女性と付き合えてWin-Winのように見える。
とても羨まsh...じゃなくてとても微笑ましい光景を見ながら一つの疑問が浮かんできた。
なぜ女子高生は男子大学生と、男子大学生は女子高生と付き合いたいのか?
抽象化すると「なぜ人は自分とは異なる年齢的コミュニティに属する人と付き合いたいのか?」

楽しそうに歩く彼らを余所目に私は一人カフェで考察してみた。

<男性の場合>

まず男性から考察していこう。
とても主観的な考えであるが、男性は年齢に応じてそれぞれ以下のような女性と付き合いたい傾向がある。

高校生>>女子大生 or 社会人女性
大学生>>女子高生 or 社会人女性
社会人>>女子高生 or 女子大生

私個人の経験上、高校生男子は同年代と付き合いたいという想いはあるものの、女子大生といった自分よりも年上のコミュニティと付き合うことに憧れを持っている。女子大生ならまだしも、社会人女性と付き合っている男子高校生がいたとしたら友人達から神として崇められるだろう。そういえば漫画『ストロボエッジ』の男主人公の一ノ瀬蓮君は大学生モデルと付き合っていたなぁ。 高校時代は女子大生に憧れを抱いていたものの、大学に進学した途端に「制服っていいよね」などと女子高生への憧れを居酒屋で話し始めるようになる。ただし、社会人女性への憧れはここでも継続しており、サークルの先輩づたいに社会人と繋がる猛者もいる。今は学生インターンがとても多いので、社会人女性と出会おうと思えば割と出会えるんじゃないかなとも思う。
大学を卒業し社会人になると、普段やりとりする女性のほとんどが社会人になる。そうなってくると逆に女子高生や女子大生といった年下への憧れが強くなってくる。もちろん結婚を考えるなら同じ社会人女性と付き合うべきなのだが、なぜか男は女子大生と付き合って飲み屋でドヤ顔をしながら自慢を繰り広げる。

このように男はいつまで経っても自分とは年齢の異なるコミュニティへの憧れを捨てきれない。理由はおそらく雄特有の本能なんじゃないかと私は考えている。

生物的なオスの最終目標は自分の遺伝子を可能な限り多く残すことである。
そして日々変容する環境で自身の遺伝子がその後も繁栄するためには様々な異性との間で子孫を育み、遺伝子の多様性を築くのが最善手となる。 つまり不特定多数の異性から好かれ、関係を持つことこそが男性にとってベストな選択であり、多様性を獲得する一環として自身とは異なる年齢コミュニティに属する人への憧れを抱くのである。 また、多くの男女がひしめき合う人間コミュニティにおいて、他のライバル(男性)を圧倒するためには、自身の魅力がライバルよりも優っていると示す必要がある。 そのために、自身が現在所属するコミュニティではなく、別のコミュニティに属する女子高生・女子大生・社会人女性との関係を築き、自身が複数のコミュニティから魅力的であることを示しているのではないだろうか。
もちろん年齢的コミュニティ以外のコミュニティもたくさんあるが、人間社会を見渡すと学校や社会人といった年齢区切りのもの以上に明確な分断され、かつ周知の事実となっているものはない。そのため年齢的コミュニティが魅力誇示の指標として使われるのではないかと思う。

要するに男性はいろんな年齢的コミュニティからモテてますよという事実を持って、他の男性にマウントを取りたいのである。

<女性の場合>

同様に女性のケースを考えていこう。
独断と偏見だが、年齢に応じて女性は以下のような相手への憧れを持っている。

高校生>>男子大学生 or 社会人男性
大学生>>社会人男性
社会人>>ハイランク男性(経営者や医師など)

男性との大きな違いとして、女性は自身よりも下の年齢的コミュニティに属する男性に魅力を感じていないということだ。
思い返せば女子高生で社会人と付き合っている人はたとえ相手がカッコよくなくても他の女子たちから羨ましがられていたし、社会人と付き合っている女子大生も自分たちより少し大人に見えた。映画『センセイ君主』でも浜辺美波ちゃん演じる女子高生が竹内涼真演じる先生への憧れを爆発させていた。

こういった女性の特性も生物学的本能で説明がつくと私は考える。
自身の遺伝子を拡散しようとする男性とは違い、残すことが可能な子孫の数が限られる女性はなるべく優秀な遺伝子を持ち、子の生育に適した豊かな環境を提供できるオス、つまり自身よりも優秀で環境構築力に長けた(現代社会でいうと高い経済力を持った)強いオスを選ぼうとする。 女子高生にとって男子大学生や社会人男性が魅力的に見えるのは、年齢的コミュニティが高い男性の方が社会経験を積んで優秀そうに見え、かつ自身よりも高い経済力を持っているからであると考えられ、同様のことが女子大生、社会人女性にも当てはまる。ただ、ここで注意してほしいのは、経験を積んでいるからあくまで優秀そうに見えるだけであって、そのオスが本当に強いかは一緒に時間を過ごさないとわからないものである。社会人の中には年下から憧れられるのをいいことに不特定多数の女子大生と付き合っている不届き者もいる。
また、自分が所属するコミュニティよりも上の男性と付き合うことで自身も優れていると錯覚させ、同一コミュニティ内の他の女性(ライバル)に対して自身の優位性を示す、すなわち魅力の誇示にも繋がっていると考えられる。

要するに女性は自分よりも高い年齢的コミュニティに属する男性が優秀で経済力も高いという前提のもと、最適なパートナーの獲得、そしてコミュニティ内でマウントを取るために、高い年齢的コミュニティの男性と付き合いたいと思うのである。

 
 

これまで男女ともに「なぜ自身が所属する年齢的コミュニティ以外の人と付き合いたいのか?」という疑問に考察を行い、男女ともに遺伝子の繁栄、そしてコミュニティ内でのマウントという極めて生物らしい結論に至った。
もちろんいろんな考えがあるだろうし、同年代と付き合いたいと思っている人もいるだろう。
この記事をカフェで書き終えた私が今思っていることは、隣の席でお互いのフラペチーノを交換しあっている男子大学生と女子高生カップルがただただ羨ましいということだ。

新人研修で「おかしい?」と感じた文化は一生おかしいまま

3月も終わりに近づき、あと数日もすれば多くの学生が社会人になるかと思います。
4月の入社とともに日系大企業で一斉に行われるのが新人研修。
社内である程度成果を出した人が講師になり、約一ヶ月ほどかけて会社の成り立ちやビジネスマナー、実務スキル等を学びます。
外資ベンチャーでは実務レベルまで学生を一気に引き上げることを目的にカリキュラムが組まれているかと思いますが、日系大企業では学生気分の抜けない新社会人を「会社にフィットさせること」ひいては「会社を辞めさせないこと」が目的の一つとなっています。(もちろんそうではない会社もあるとは思いますが...)

「新卒採用の面接でフィットしてると認められたから採用されたはずなのに改めて確かめる必要があるのか?」と疑問を抱く方もいるとは思いますが、大企業のように現場と人事が完全に別れている組織において採用でミスマッチが起きないわけがありません。そもそも新卒採用では学生はお客様という扱いなのでいい面ばかり見せられていますが、4月1日を境にお客様で無くなった瞬間から悪い面がドンドン現れます。
つまり新人研修には「就活で言ったことは嘘じゃないけど、あなたの印象とは違う部分が弊社にはたくさんあるから早く同期と一緒に慣れてね」という人事部からの無言のメッセージが込められています。

会社にフィットを強いる研修では

  • 社内ルールを破った人への懲罰例の紹介による恐怖心の醸成
  • 一般常識的ではありえないルールや作業を強いて、理不尽への従属性を高める
  • 実務スキルなどのポータビリティスキルは教えずに市場価値を低く保ち転職し辛くする
  • チームで出し物を行い、同期感の連携を高め退職意思を削ぐ
  • 同期同士で愚痴を言い合うような環境を作り、ガス抜きを図る

といったものが実際に行われます。(私の新人研修の内容はこれ以上に酷いもので、 実務に関することは一切せず、ただひたすらルールへの順応を求められました。)

この状況に対して、「おかしいけど社会人なんてこんなものだ」と諦める人や、「部活はもっと大変だった」と前向きに捉える体育会系もいるかと思います。(余談ですが体育会系が就活で有利な理由の一つとしてこの理不尽への耐久力が通常の学生よりもはるかに高いことが挙げられます。)

ただ、一部の人は「おかしい」と思ったり、納得できないこと行うことに対して強い抵抗感を示します。
こういった人たちに言えるアドバイスはただ一つ!!
転職活動を始めましょう!!

上記したとおり、研修とは実務で活かせることを学ぶ場であるのにも関わらず、一部の日系大企業では理不尽なルールや環境への従順性を高めることを目的とした新人研修を行なっております。
責任が発生せず、周りにいる同期と愚痴をすぐに言い合える新人研修の場は実務に比べて精神的に楽です。
理不尽に耐える研修の先に待っているのは理不尽な業務や環境であり、研修の内容やルールにすら違和感を感じて辛くなるようでしたら、実際に現場に行った時にはさらにギャップを感じて尋常じゃなく辛い日々が待っています。

何度も繰り返しますが、ここで言っている『辛い内容』とは難しい課題や高い目標を設定して新人を成長させるような「辛いけど中身のある研修」ではなく、理不尽なルールへの従属や連帯感を高めるための意味不明なグループワークを通じて新人の従順性を高めるような「辛いけど中身のない研修」を指しています。
そして、後者の研修にフィットしなかったといって、周りの同期に劣っている訳ではなく、ただ単にこれまで育ってきた環境と会社の環境が異なっていただけです。また、新人研修の段階で会社に見切りをつけるのは忍耐力が足りないからだと言ってくる人もいるかと思いますが、私は自身の経験から「文化が合わない企業で働くのは、秘境に住む未開の部族とともに生活するのと同じレベルで辛い」と思っており、忍耐力で乗り切れるようなものではありません。

要約すると研修で企業風土や顧客へのスタンスなど本質的な部分に対して「おかしいな?」と強く感じたら、その後の実務でもその感情が残り続けると思います。なので、早いうちに新しい職場を探したほうが自分のキャリア・精神の両面からいいと思います。
はてなマークが常に拭えない環境にいると、精神的に病んでしまう恐れもあるので、無理はせず自分の身体を第一に考えて行動していただければと思います。

ダメもとで街コンに行ったら予想の10倍楽しかった

先日友人から街コンに誘われました。
近場開催だったし、もともと藤沢数希さんの『僕は愛を証明しようと思う』を読んで興味もあったので、いい機会だと思い行ってきました。

まず結論から言うと、思っていたより10倍くらい楽しかったです。

 

街コンに行く前にいくつかの街コンの感想記事を読んだのですが、どれも「会場は汚いし、話は盛り上がらないし、食事はまずい、そしてブスばっかりで糞クソくそ」といったレビューばかり書いてあったので、だいぶ不安を感じていました。

まず会場ですが、新宿の綺麗なバー系統の居酒屋でした。
2対2の形で向き合うボックス席が複数あり、男性が20分ごとにテーブルを移動することで複数の女性グループと交流できる形式でした。他の席とは仕切りがあって見えないようになっているので周りの目を気にせずに相手を話せました。
15分経過するとスタッフが連絡先交換を進めてくれるので、スムーズに相手の連絡先を知ることもできました。 また、暗めの照明でお互いの顔が少し隠れるのでシャイな私としてはだいぶ楽でしたね。

次に食事ですが、ポテトや鶏肉サラダ、パスタに加え、ローストビーフもあり、味も普通に美味しかったです。ただ、ローストビーフは固すぎて一度口に入れると噛みきれずに、5分ほど話せなくなるので、誰も食べてはいませんでした。

そして一番大事な女性参加者ですが、参加前は態度の悪いブスばっかりいるんだろうなという予想はいい意味で裏切られました。 どのグループにも可愛い子や愛嬌のある子が一人おり、こちらから振る話題にもノリよくこたえてくれました。女性の職業はネットでもよく書かれているように保育士・看護師・事務職がほとんどでした。普段の仕事では同年代の女性と話す機会があまりなかったので、若い子と楽しく話すというだけでだいぶ楽しかったです。(おじさんっぽい感想)
閉会後に送ったラインも続いているし、思っていた以上にいろな人と知り合えたので概ね満足です。

 

以下には今回至らなかった点を振り返り、次回以降は気をつける点を書いていきます。

  1. 連絡先交換をしたらその場でスタンプを送る
    基本的に男性が女性のQRコードを読み取る形で連絡先を交換するのですが、交換した直後に何も送らないと連絡先が埋もれてしまいます。1日に何人もの女性と連絡先を交換するので、話した全員の名前を覚えておくのは難しく、終了後にトークを始めようとするとアカウントがなかなか見つかりません。(アカウント名が名前と違うと見つけ出すのはほぼ不可能) これを防ぐためにも交換したその場で相手にスタンプを送っておいてトーク画面に相手を残しておくべきです。
    また、興味がありちゃんと連絡したい相手専用のスタンプを設定しておくて、あとで連絡するときに目印となっていいと思います。

  2. 短時間で自分を印象付けるためのルーティーンを準備する
    今回参加したのは20分で席替えとなるなど、街コンはとにかく話せる時間が短いです。しかも1テーブルあたり男2女2のため、単純計算で一人当たりの持ち時間はたった数分です。実際は質問を受ける女性の方が話す時間は多めになるので、男性が自分をアピールできる時間はマジで短いです。超絶イケメンや商社・広告代理店勤務といった明らかな強みを持つ人はそこまで心配する必要はありませんが、普通の人が印象を残すためにも何かしらのとっかかりを作る必要があります。(ちなみに有名コンサルファームや投資銀行でも基本的に知らない人の方が多いと思います。)
    強い印象を残すためにも、誰しもが興味を抱きそうな内容を含んだ鉄板の自己紹介を準備したり、女性の趣味に応じた問答集を作るなどしていかに自分のペースに持っていくかが大事になるかと思います。

  3. 閉会後にそのまま飲みに誘う
    休日開催の街コンだと大抵13〜17時の間に2時間ほど行われることが多く、閉会後にそのまま2人で飲みにいく女性達が結構いました。会場を出た私が友人と歩いてるすぐ後ろにも先ほど話した子達がいたのですが、急に臆病になってしまい2軒目に誘うことができませんでした。
    次回からは印象のよかった相手には会場を出たあとに2軒目に誘ってみようかなと思います。

 
他にもやっておくべきことはいっぱいあると思うのですが、次回参加する際はこの3つを意識してみようと思います。

印鑑撤廃について元銀行員が思うこと

ここ最近、電子政府法案に対する印鑑業界の提案が話題になっている。色々と支離滅裂な主張があるが、まとめると「法的手続きに印鑑が不要になってしまうと印鑑業界が縮小して困る」ということだった。これに関しては「頑張れ」としか言いようがないのだが、彼らは本当に印鑑が社会を良くしていると思っているのだろうか。
少なくとも私が勤めていた銀行では手続きに印鑑があることによってよかったと思うことは一つもなく、むしろ多くの問題が発生していた。 そんな印鑑によって起きた冗談っぽい話を紹介していきたい。

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①口座開設の際に最後の捺印を間違えて全て書き直し

基本的に銀行窓口で口座開設をするときは申込書に手書きで名前や住所、職業等の個人情報を記入する必要があり、これには10分ほどかかる。その後銀行員によるクレジット機能付きキャッシュカードの営業等もあり、申込書が全て埋まるまでに窓口についてから20分ほど経過している。
そして埋まった申込書に待ち受ける最後の関門がある。それこそが捺印である。普段の生活でシャチハタ印はともかく、朱肉を使って印鑑を捺す機会がある人は少ない。そのため、お客さんはこの捺印をする際に印鑑がずれてしまったり、朱肉の量によって印影が薄かったり滲んだりしてしまうことがある。
そうなった場合は悲劇である。目の前の銀行員が申し訳なさそうな顔をしながら新しい申込書を出してくる。なんと印鑑を押し間違えただけで、これまで20分近くかかって記入した申込書を全て書き直さなければならないのだ。
申込書の捺印欄は大きいので、正直空いているスペースに捺し直せばいいと思うし、客にも同じことを何度も言われた。しかし、なんでか分からないが一度捺し間違えてしまうとその捺印欄は使えなくなるらしい。(銀行では厚切りジェイソンのようにWHYと声をあげるのはタブーになっているので理由を聞いてはいけない)

②法人顧客が違う印鑑を押してしまい再度もらいに行く

ドラマ「半沢直樹」でも描かれているように、法人営業はお客さんのもとを訪れて融資契約書などの書類に印鑑をもらってくる必要がある。この際に顧客が複数の印鑑を持っていることを知らないと悲劇が起こる。
私はある飲食店の経営者からネット決済関連サービスの申込を受けるために、契約書に捺印をもらって自分の営業店に帰ってきた。そして事務職の方に社内手続きをお願いしたが、数分後に事務職の方から手続きできないとの報告を受けた。捺されてある印鑑が登録印と違っていたらしい。私は再度顧客のもとを訪れて別の印鑑を捺してもらい、再度手続きをしようと試みたが、また印鑑が違っているという理由で突き返された。最終的に私は登録されている印鑑のコピーをとって顧客が持っている全ての印鑑を出してもらい、その場で確認して捺印してもらいなんとかことなきを得た。一日が捺印で終わってしまい、顧客にも迷惑をかけた。

③正しい印鑑を持っていなくても、その場で印鑑変更できる

私が銀行で働いていて一番疑問を持ったのが、登録してある印鑑とは別の印鑑を持って来店しても、本人確認書類があれば窓口で印鑑を変更して手続きができるという点だ。例えば高額のお金を下ろすために来店したが印鑑が間違っている場合、保険証を見せればその時に持ってきた印鑑に変更でき、お金をおろせてしまえるのである。顔写真がない保険証で変更できてしまう印鑑など、本人確認の効果があるのだろうか。(犯罪の危険性も大きい) いい加減印鑑に本人の承認機能があるなどと考えるのはやめるべきではないだろうか。

④(番外編)外国人のサインを再度もらい直す

印鑑をやめてサインにすれば問題が解決すると思ったら大間違いだ。日本で口座を持っている外国人は印鑑の代わりにサインで銀行口座の作成や各種手続きを行うことができる。しかし、私が対応した外国人客は昔口座を作った際に書いたサインと現在のサインが微妙に違っていたため、その場でサインを再登録することになった。ちなみにサインを変更する場合は申込書を改めて全て記入しなけらばならないため、①で書いたように20分以上かかる。数年前と全く同じサインを記入できる人などそういないだろうから、結局印鑑からサインになったとしても銀行内のルールが本当の意味で変わらない限りは利便性が大きく変わることはないと思う。

⑤(番外編)90歳のおばあちゃんに全て手書きで書かせる

銀行では申込書は基本的に全て申込者本人が記入しなければならない。以前90歳の施設暮らしのおばあちゃんが施設入居費用を下ろすために来店した。しかし、登録印を持っていなかったために、再度印鑑登録を行う必要があった。私は代理記入をしてもいいのではないかと上司に言ったが承認されず、仕方なく車椅子で握力もほとんどないおばあちゃんに1時間近くかけて名前や住所を記入してもらい、新しい印鑑を登録した。

 
印鑑にまつわるエピソードはまだたくさんあるが、書いていく中で前職の嫌な記憶がどんどん溢れてきて気持ち悪くなってきたのでここら辺でやめようと思う。
印鑑を無くすことで手続きがシンプルになるのは間違い無いと思うが、印鑑は結局プロセスの一部分でしか無いため、いくらITを導入して一部分を改良したとしても、本当にユーザーの利益になるのかを真剣に考えてプロセスを一から見直さなければ結局うまくいかないのでは無いかと思う。